和歌山から東大へ進学して感じたこと

和歌山から東大へ進学して感じたこと

東京には約10年間いました。田舎である和歌山の高校を卒業して、東京に出たものですから、最初は見るもの見るもの新鮮で驚きの連続でした。

特に東大には、驚くほど優秀な人間がたくさんいたことが印象に残っています。家系に恵まれたサラブレット、頭の回転が早いのは当たり前で、その上で運動が出来たり音楽が出来たり、語学が堪能だったり、リーダーシップが溢れていたり、、
「自分はこれが好き!」と胸を張って言える人が多くいました。

私は1年浪人でなんとか東大に入り、運動はからっきしダメ、ユーモアもなし、という状態で、周りの天才学友たちを日々羨望の目で見ていました。そんな中、彼らと”友達”として同じ時間を過ごしていけたのは、幸い自分に2つの武器があったからでした。

ひとつは論理的思考力。彼らは抽象的な内容を怒涛のスピードで会話します。それについていけるだけの論理的思考能力がなんとか備わっていたため、対等な立場で会話することが出来ました。

もうひとつは自分自身の挑戦。
素晴らしい先輩や同期に恵まれ、途上国でのボランティア活動やベンチャー企業でのフルコミット就労といった「今、自分はこれに挑戦していて、こう感じている」という自分自身の挑戦物語を語れたことです。

この2つ(論理的思考力と自分自身の挑戦)があったことにより、東大生特有?の無駄に抽象的で夢物語的なやりとりについていくことが出来、お互いに切磋琢磨できたように思います。

※ちなみに、東大生といっても、会話の半分くらいは下世話でどうでもいいくだらない会話もします。そうやって友情は深まるのです笑