論理的思考能力≒日本語能力の大切さ

論理的に考えるって難しい?!

前日の記事で論理的思考能力がとても役立ったことを書きました。

論理的に考えることは意外と難しいです。
例えば、
サークル(部活動)の新人勧誘のためには何をすれば良いのだろう、といったことを議論していても、気付いたら新人勧誘ではなく入部後のフォローの話になっていたり、そもそもサークル活動における愚痴の話になっていたり、なかなかうまくいかないものです。

理屈としては簡単そうに見える上記の例でもこうですから、
抽象的で目に見えづらい社会問題や様々な条件が複雑に絡み合うビジネスの問題を整理し、議論していくことはとても難しいことです。

日本人は日本語で考える

日本人は日本語でものごとを考えるので、日本語をうまく扱えることがものごとを考える上でとても重要です。日本語をうまく扱えるということは、日本語を読み聞きし、その要旨を的確に把握できること、自分の言いたいことを整理して簡単にまとめることです。
受験科目で言うと、現代文以外にも、小論文や数学の記述問題がわかりやすいですね。その他の教科でも、難関大と言われるような大学の試験問題では、出題者の意図を把握し、その出題意図に端的に答える、ということが重要視されます。(東大は全科目において、そのような傾向が非常に強い。)

論理的思考能力を身につけるには

この論理的思考能力は一朝一夕で身につく訳ではないので、できれば小学生時代(遅くとも中学生時代)からの訓練が必要です。読書そのものも大変重要ですが、具体的には論説文を読んで、それを要約するというトレーニングが一番有効だと思います。私の教室では、文章を読むことの基本的なイロハ(指示語や具体化・繰り返しのレトリックの活用)について学んだのち、レベルに合わせた(時には背伸びした)論説文を要約する筋肉トレーニングを行っています。

また、日々の生活においても、自分は何が欲しいのか、何をしたいのか、自分の意見をしっかり述べる(あなたが親であれば、子供に述べさせる)ことがとても重要です。
いささか極端な例かもしれませんが、私の大学時代の先輩は、サッカー道具やゲームなど、自分が欲しいものを親にねだる際に、親を説得するためのプレゼンテーションが必要だったそうです笑。