教養の大切さ

教養とは

教養について書きたいと思います。

まず、教養とは何かwikipedia先生に聞いてみました。

一般に、独立した人間が持っているべきと考えられる一定レベルの様々な分野にわたる知識常識と、古典文学や芸術など質の高い文化に対する幅広い造詣が、品位や人格および、物事に対する理解力や創造力に結びついている状態を指す。(wikipedia)

うーん。。なにやら難しいですね。

私がこの人は教養があるな!と思った人は、

  • 接待の場でワインの話になり、シャンパーニュ地方の土壌形成について歴史と地理を紐付けて解説してくれたお客さんのA氏
  • フィリピン人の友達の家に遊びに行ったとき、その友達のお祖母様が片言の日本語で歓迎の挨拶をしてくれた際に、太平洋戦争のその地域(日米で激しい戦闘があった)での戦闘の話にふれ、お祖母様の家族の安否を日本人として気遣ったB君
    ※片言の日本語=幼い頃に日本の影響下で暮らした可能性が高い
などなど、
その言動が、何かの知識や体験によって洗練されたものになっていることかなぁと思います。(知識があるってだけじゃダメ)

教養がある意義

教養のある人は、他人に尊敬されます。
特に、見知らぬ他人や目上の人に「こいつやるな」と思われる効果があります。
自分の教養によって有能な人や有力な人に可愛がられることはとても大切なことです。自分独りの力ではどうしても限界はありますが、自分を応援してくれる人がいて、その人が自分より遥かに力を持っている場合、大きな機会と原動力を得ることができます。
もちろん、ワインの知識がなくとも歴史の知識がなくとも面白い会話が出来る人はいますが、知識や経験の懐が広い人の会話はとても深みがあり、大人の社会ではその深みが一定の評価をされることは揺るぎない事実だと思います。

教養を得るために

大学には教養課程というものがありますが、教養という科目がある訳ではありません。
教養を身につけるためには色々なものごとに興味を持ち、その本質や根底に流れている源流をたどる癖を身につけることが大事です。
例えば、数学が嫌いで苦手な人にとっても、
  • 先生の解答を見てその論理的な整合性の美しさに感動できれば、
    「自分には無理だけど、こんな美しい世界もあるのだな」という感想
  • 逆に「こんなどうでも良いコトに一生を費やすような人もいるということは、数学はその人にとって何が魅力的なのだろう」というような疑問
そのような感想や疑問があれば、それが自分にとっての教養となるのだと思います。
いざ、数学が得意な人に出逢えば、タイミングを見て上記の感想や疑問をぶつけてみるとよいでしょう。単なる数学嫌いとは一線を画した会話になるはずです。
中学高校で学ぶあらゆる科目は日本人としての教養の基礎パッケージなので、学生の皆さんには、必ずしもテスト勉強を熱心にする必要はないと思いますが、何か1つ考えや感想、疑問などを身につけて欲しいと思います。

終わりのない学び

人の一生を長いと見るか短いと見るか、人によって見解は分かれますが、
学校を卒業したとしても、教養の習得は終わりがありません。
日々、興味を持ち、考え、感じることを習慣としたいものです。